NEW TRADITIONAL JAPAN
直訳で「新しい伝統的な日本」という意味です。
この映像は全く予算も組まれていないし、回収するつもりもない完全自主制作です。
誰かから依頼されている訳でも無ければ、取材先の人たちからのリアクションも無い。
でも、先日8本目を配信したんです。初めたのが4月12日なんで、わずか20日足らずの期間ですね。自分でもビックリしています。
「なんでこんな事してんだろ」って目で人は見たりするのかもしれません。
だからちょっとだけ言い訳をしておこうと思います。
実際、フリーランスで東京の撮影部をやっていた時は毎日映像のことを考えて充実もしていました。でも、自分もスタッフの一人として一つのパートを全うしてた。撮ってる映像は自分のものでは無い訳で、自分の名前を貼り付けて表に出して評価される訳では無い。
そんなのもあって、名古屋に引っ越してきたんだと思います。
そういった現状は今もそれほど変わらなくて、実際、自分がディレクションして撮影した映像も様々な兼ね合いがあって名前を貼り付けられる作品など存在しなくて、名古屋で映像をつくっていたって会社でつくっている段階で、何も手元に残っていない訳です。一般的な社会人としてはすごく当たり前な事で悩むような事では無い。そう思って10年が経ちました。
そんな中で一人の老人に出会いました。
その人は会社絡みでご恩のある方の父親で、89歳。出会った時には癌を患っていて余命数ヶ月と言われていました。
2017年の夏の事。
その方は太平洋戦争が終わり、それまでの教育制度が変わったその年にわずか18歳で教員になり、激動の時代に教員として奮闘した過去を残すドキュメンタリーを撮影することが目的でした。初めて会った時にノンストップで4時間、様々な話を聴かせてくれました。
教員になった時のこと 恩師のこと 生徒たちに対する想いなど
それまで当たり前に教育を受けて来た自分がこういった先生たちが必死になって作り上げて来てくれたから存在するということに、その時初めて気が付いて純粋なその姿勢に感動した事を覚えています。
僕はその先生のファンになり、次の撮影ができる事を楽しみにして、結局半年以上の間、何回も先生を取材させてもらいました。
先生は教え子たちが卒業し、自分も退職をした今でも教師として何を教えられるかと考え、日々健康でい続け、手紙を交わしあいました。先生は「こんな事を言ったら叱られるんだけど……教員は職人で生徒はその作品だと思っている。いい生徒を育てる、その為にはなんだってやるんだよ。」とおっしゃっていました。
その先生が2018年の1月に亡くなられました。
最後に会ったのはクリスマスでベットに寝たまま、僕の知らない、けど懐かしい昔の歌を歌っていました。様々な生徒さん達が訪れて感謝の言葉を伝え、先生も手を握りそれに応えていました。
告別式の時、癌センターの方から感謝の言葉がありました。
その時、僕ははじめて先生が自分の身体を検体に出しているという事を知りました。
先生は自分の身体を癌の医学発展のために医学生に教材として差し出したいと自ら名乗り出たそうです。
そして、5月になる現在も先生の身体は生徒達の為に働き続けており、火葬されるのは夏頃になると奥様はすこし微笑みながら話してくれました。
どうやったら、こんなに人の為に生きられるのだろう。
どうやったら、社会や日本の国や文化の為に身を捧げられるんだろう。
どうやったら、そうやってつくられた今の自分の環境に、想いに報いられるんだろう。
今の自分は恵まれているので、ある程度の生活は保証されていて、それなりの休暇を取ることができています。そして、子供と過ごす時間もなんとか確保できています。けれども、自分自身が何かを残した実感が余りに無いのは、何かを残そうと思って来なかったからだと気がつきました。先生は何かを残そうと、守ろうと常にし続けていました。そして、何も残していない自分に虚しさと焦りを感じました。
もう一つ、気が付いた事は、そんな先生の様な先人たちが作り上げてくれたこの日本の文化や考え方が大好きだということでした。お互いを察し合って、尊重し合い、人の為に行動できるこの場所が大好きだと実感しました。
僕は恵まれています。表現する技術を持っている。
これからはそれを使って自分が住んでいるこの場所の良いところを伝えて守っていきたいと思っています。誰かが見て、魅力を感じ取ってくれて、そこに行き、体験することでそれらが守られていけばいいと考えています。大切な事を伝え守っていく為に自分のできる事をやっていくべきだと考えています。
長くなりましたが、そんな想いがNEW TRADITIONAL JAPANには込められています。古い伝統も知ってもらいたいですが、もっと新しいものも撮っていこうと考えています。自分の周りを形成するすべてのものが掛け替えのない大切なものであると信じています。
そして、僕は野田先生の最後の生徒となれた事を誇りに思っています。
Hokuchiman
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